ジーザス 『 私は神と共に全てを成してきました 』

 

 
 
私はジーザスです。
 
皆さんに知られることなく、私は準備期間として神と存在していました。
神に色々なことを聞いて、そして地上の人々にどの様に癒すのか、
どの様なことをされ、どの様なことを味わうのか、どの様な光を送るのか・・・
その様なことを神と話し合ってきました。
 
そして、あのような事があったのです。
(ジェリコの山での誘惑。正確には40日間ではなかったそうです)
そして、洗礼を受けました。
ヨハネから洗礼を受け、そしてそこからです。
 
聖書に書かれていないことを、幾つも私はして来ました。
勿論、誰も知らないような事を、語り継がれていない事ばかり沢山して来たのです。
初めて人々に見て頂いたその奇跡というもの(カナの婚礼)も、
勿論初めてではありませんでした。
 
そしてそれは、人々に見せるためにしている訳ではありません。
その御業というものを神と共に成し、人々を救う為だったのです。
人々を癒し、そして心の拠り所というものをご自分で見つけて頂きたかったのです。
それは信仰心であると。
あくまでも神を信じる。
自分自身の愛を信じるということ、それを知って頂きたいと思い、
多くの人々に携わって来ました。
 
勿論、「癒して頂きたい」、「治してください」と多くの人々が来てくださいました。
私の元に来てくださったのです。
その時は勿論、「もう治りますよ」、「もう完全に治りますから大丈夫ですよ」と
お伝えしましたが、私だけではなく弟子達も、
その様に多くの人々から頼られ、慕われて来ました。
 
 
そしてあの磔の時に、神に私が申し上げた言葉は、あのようなことではなかったのです。
私は神と共に全てを成してきました。
常にコンタクトを取って来たのです。それは当然の様に私は思っています。
ですから、あのような言葉(神よ、神よ、何故私をお見捨てになったのですか!)
は出て来なかったのです。
人々が作ったのです、それは・・・
私を見てくださっていた、見守ってくださった方や、多くの、
私の磔になって命を落とす瞬間を見たいと思われた人々(その後のバチカン等も含む)
に話を作られ、語り継がれて来ました。
あなた方が仰る、何千年、ずっとそうです。
 
どれだけその聖書というもの、人々の話・・・
それは正確ではないということです。
 
しかしながら、それを今更責めるということを私はしたい訳ではありません。
ただ真実をあなたを通してお伝えしたいだけなのです。
私は勿論、あなたが思われたその日(クリスマスではない)に生まれました。
 
本当に色々な人々とお会いし、色々なことを言われて来ました。
しかし、耐えて来ました。
あなたが思われている以上に、私は多くの人々に罵られ、傷つけられ、
色々な暴力というものを受けて来たのです。
ですから、ただ「先生、」、「主、」と呼ばれて、
「癒してください」、「治してください」と慕われていただけではなかった。
その私の生きて来た道というものは、とても厳しいものだったのです・・・